近世細川家の祖、細川藤孝のちの幽斎は足利将軍家に連なる優れた戦国武将であると同時に、
歌道や能楽、茶道、儀式典礼などにも深く通じた
当代随一の教養人でした。
武人としての教養と美を尊ぶ精神は代々受け継がれ、
三代目細川忠利が初代熊本藩主として入国した後は、ここ熊本の地で独自の武家文化が培われました。
水前寺成趣園に代表される湧水庭園群、茶道肥後古流、肥後能楽、細川流盆石、
武田流流鏑馬、小堀流踏水術、肥後六花、
肥後象眼など、
今日に伝わるこれら歴史的文化財や伝統文化を、

ここでは

「 肥後細川文化 」

と称しています

肥後細川文化

「 肥後六花 」
  • 肥後朝顔ひごあさがお

  • 肥後菊ひごぎく

  • 肥後椿ひごつばき

  • 肥後山茶花ひごさざんか

  • 肥後芍薬ひごしゃくやく

  • 肥後花菖蒲ひごはなしょうぶ

「肥後朝顔」「肥後菊」「肥後椿」「肥後山茶花」
「肥後芍薬」「肥後花菖蒲」の
6つからなる“肥後六花”。
肥後細川藩主6代目重賢が武芸のたしなみとして、
園芸を推奨したことが始まりとされ、現代まで受け継がれています。
水前寺成趣園内でも季節ごとに美しい花を楽しむことが出来ます。

「 肥後能楽 」

肥後藩主・忠利ら歴代藩主は能を嗜み、金春流、喜多流を武家役者から町衆まで広く浸透させた。
熊本県には五つの能舞台
(出水神社能楽殿、段山能舞台、藤崎宮能舞台・菊池神社松囃子能舞台、河尻神宮能舞台)が現存する。
世阿弥は、肥後を題材にした名曲「高砂」や「檜垣」を残しており、
白川や黒髪という地名も、この檜垣からとられている。

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「 武田流流鏑馬 」

今から約1100年前、清和天皇の皇子から源氏七代に伝わった後、
武田・小笠原の両流に分かれました。
武田流は若狭武田家の信直から、婚姻関係にあった細川藤孝(幽斎)が受け、
家臣の竹原惟成が直伝され、
細川忠興から忠利が肥後に入国後は竹原家が宗家師範としてその一切を受け継ぎました。

イベント情報

「 肥後細川流盆石 」

黒い盆の上に数寸の自然石を置くことで山々を表し、
白砂をまき、羽根や小さなホウキで流れや波を描くことで、雄大な海や川を表す。
このように盆石とは、自然がおりなす様々な表情を盆上に描くもので、
日本古来の縮景芸術の一つです。
流祖、細川忠興によって開かれた雅と侘び・寂びの日本文化を今日に受け継いでいます。

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水前寺縁の歴史人

肥後細川家初代

細川藤孝
ほそかわ ふじたか
雅号細川幽斎
ほそかわ ゆうさい

足利将軍家に仕え、その後も信長、秀吉、家康を支えた希な武将。
同時に、あまたの芸能、学問にも通じた
当代一の教養人。
死を覚悟した戦いで、古今伝授(歌道の秘説)唯一の継承者だったため天皇の命令によって危機を脱した。
「古今伝授の間」はその事に因む宮家の学問所。

藤孝の長男

細川忠興
ほそかわ ただおき
雅号細川三斎
ほそかわ さんさい

生涯に50~60回も出陣したという歴戦の武将で、秀吉の朝鮮出兵にも出陣。
文武両道に優れ、特に茶の湯は利休七哲の一人とされ、肥後古流の源となった。
細川流盆石の始祖とされる。

明智光秀の次女

細川ガラシャ
ほそかわ ガラシャ

本名は玉。忠興の正室。
本能寺の変により「反逆者の娘」の立場になったが、
離縁されず、
後にキリスト教の洗礼を受け、ガラシャと名乗った。
関ヶ原の戦いの直前、石田三成ら西軍からの人質要請を拒んで自ら果てた。
肥後細川家歴代当主とともに、出水神社にまつられる。

細川家の初代熊本藩主

細川忠利
ほそかわ ただとし

忠興の三男。母はガラシャ。
天草・島原の乱を制圧。晩年の宮本武蔵を抱えた。
この地に「国分御茶屋」を設け、
後の成趣園の起源となった。
また豊前から招いた僧玄宅のために「水前寺」を建立。
後に「国分御茶屋」は「水前寺御茶屋」と呼ばれた。

水前寺の創始者

玄宅和尚
げんたく おしょう

忠利公に乞われて熊本に入国した豊前(大分県中津市)羅漢寺の僧。
「水前寺」の開山(創始者)となる。
からし蓮根は忠利公の健康増進のため玄宅和尚の創案とされる。
忠利公亡き後は豊後に帰国。

熊本藩細川家5代
肥後国熊本藩3代藩主

細川綱利
ほそかわ つなとし

8歳で家督を継いだ、生まれながらの殿様。
学問を好み、武術や芸能にもよく通じた。
水前寺御茶屋に茶人の設計による大規模な造園を行い、陶淵明の漢詩にちなんで「成趣園」と名付けた。
茶室「酔月亭」を設け、「成趣園十景」を選定。

熊本洋学校教師

L.L.ジェーンズ
リロイ・ランシング・ジェーンズ

明治初期、熊本洋学校教師を務めたアメリカ人。
全授業を全て英語で行い、先進的な教育法で
全国に通じる優秀な人材を多く育てた。
維新直後の不安な世情の中、
特別に入園が許された成趣園は、
彼とその家族にとって唯一の心安らぐ場所だった。
2023年、ジェーンズ記念館が園の南隣に開館予定。

文豪

夏目漱石
なつめ そうせき

近代日本文学を代表する文豪。
明治29~33年に第五高等学校(現熊本大学)の英語教師として勤務。
熊本滞在中、水前寺と江津湖を大変気に入り、度々訪ねて、湧水の様や自然の景を俳句に詠んだ。
成趣園内に3基、江津湖畔に1基、句碑がある。

水前寺の見所

「 水前寺成趣園 」

細川忠利が「水前寺」という寺院を建てたことから由来し、細川家の茶屋として用意されていた庭園。
桃山式の回遊式庭園は、5代目・綱利の時に
完成したもの。
1878年には、藤孝・忠利など歴代藩主とガラシャが祀られている出水神社を建設。

ホームページ

「 古今伝授の間 」

水前寺成趣園内にある「古今伝授の間」は、
1912年に、京都から熊本へ移築され、細川家に
下賜したもの。
2010年に修復が完了し、
今では建物内でお茶と伝統名菓“加勢以多(かせいた)”をいただくことが出来る。

「 玄宅寺 」

玄宅寺はご開山さまの名前に由来しています。
寛永九年(1632年)細川忠利公が豊前小倉から肥後熊本に入国された折に、
豊前耶馬渓の羅漢寺の住職玄宅禅師を伴われました。
忠利公は、現在の水前寺成趣園の中に、玄宅和尚を開基として水前寺を建立されました。
その後、三代目綱利公の時代に大規模な庭園の
増建設が計画され、
寺は隣に替地を賜って、玄宅和尚の名を残し
玄宅寺となりました。
熊本名物の「からし蓮根」は玄宅和尚が忠利公のために考案されたと伝わっています。

縁起物

「 三つ葉の松 」

水前寺成趣園内に珍しい
松の木の「三つ葉」がある

「三つ葉」は、空海が真言宗布教の場所を探すために投げた法具「三鈷杵」が、
高野山の松(三つ葉)に引っかかったという言い伝えが有名で、
縁起物としてお守りにする人も多い。
国内の松は二つ葉が五つ葉が多いが、
水前寺成趣園内には1割ほど「三つ葉」があるとのこと。